最近になって、30年以上も前に読んだ本が、ふっと思い出されました。
1つは私がカイロプラクティックに通っていた頃、先生が読んでいた本です。
高橋信二という宗教家が書いています。仏教の根元的な話をわかりやすく書いた本だと記憶しています。
その方は確か霊的な力もあったのか、生年月日でその人の特性がわかるようでした。本もありましたが、廃刊になっていたので、直接お寺に聞きに行ったことがありました。
今思えば、すごい行動力ですね。でもせっかく行ったのに、そこで言われたのは一言私の生まれた生年月日は「ありがた迷惑」
そのありがた迷惑の説明は一切無くて、私はかなりショックを受けました。
なんだか自分がやってきたことが、全部否定されたようでした。
その本の内容は、すごく良くてきっとこれは心理だなと思ったのに、突き放されたような気がしてその本から遠ざかってしまいました。
もう1つは、なまけ者のさとりかたという本です。その本を読むなり、これはすごい!真実だ!と思って、友だちに勧めたりプレゼントしたりしました。
でもその本には、20代の私が理解するには深すぎたのです。
だんだん負担になってしまい、処分しました。
若い時に出会って、これだ!と思えたのに、今思うと自分の色眼鏡で世の中をみていたので、本当の意味での理解ではなかったのです。
最近、心理学やいろんな動画をみて勉強していくうちに、ありがた迷惑の本質に気付く事が出来ました。
私はどちらかというと、相手の気持ちとか表情の違いとかが良くわかる方で、敏感なところがあります。
そうすると、良かれと思って、いろいろしたくなってしまうのです。本当はその人が自分で傷ついたり悩んだりして形作っていくものを、私が先回りをしてその芽をつもうとしてしまう、そういう事なんだと思います。
心理学的に言うと、境界線があやふやになり、やりすぎてしまうのです。
あの時すごくショックでしたが、こうやって点と点が線に結ばれた感じです。
相手にもやりすぎてしまうと当たり前になり、自分がすごく消耗してしまうんですよね。だから苦しかったです。
なまけ者のさとりかたは、読み返してないのではっきりとは言えませんが、多分読んで実行したつもりでも悩みが消えずいつまでたっても、さとりの入り口にもいけないのが、苦しくなってしまったんだと思います。
私はいつも自動的に自分を責め続けていました。自分がなんとかできなかったのか?もっとできたんじゃないのか?自分ではそんなつもりではなかったのですが。でも自分を責めるということは、今考えると一番やってはいけないことだと思います。
その考えや感情にいたったことは、その時の最善であって、間違いは1つもないのです。今はハッキリ言えますが、学校や家での道徳観や宗教観が刷り込まれて、自分を後回しにすることが美徳だとか他人の為にすることが素晴らしいとか、反省することが良いと思い込んでしまいました。
だから、私の色眼鏡を通した本の内容では、いつまでたってもさとれないのは当たり前でした。
最近この2つのことがふっと浮かんで、点と点が長い年月をかけて、1本の線になったなと確信しました。
人生っておもしろいなと思います。年齢を重ねないと見えてこないことが沢山あります。だから、年を取るのも楽しいですね。
そして、なまけ者のさとりかたと高橋信二氏の本もまた読んでみたいと思いました。
読んだらまたブログに載せますね。

かずえのつぶやき 